実は、HTMLが致命的にわからなかったんです。
BASE株式会社取締役CTO 藤川真一
Webエンジニア
FA装置メーカー、Web制作のベンチャーを経て、2006年にGMOペパボへ。ショッピングモールサービスにプロデューサーとして携わるかたわら、2007年からモバイル端末向けのTwitterウェブサービス型クライアント『モバツイ』の開発・運営を個人で開始。2010年マインドスコープを設立し、2012年4月30日まで代表取締役社長を務める。その後、想創社(version2)を設立しiPhoneアプリ『ShopCard.me』を開発。2014年8月からBASE(ベイス)株式会社の取締役CTOに就任 兼 株式会社想創社 代表取締役
― えふしんさんはどうしてエンジニアになられたんですか?
えふしん)小学生の頃からラジコンとか物を作るのが好きだったんですよね。
プラモデルもそうだし、ファミコン世代だけど、割とすぐパソコンにいったんです。
当時はプログラミングしてるわけではないんだけど・・・
なんとなく「それが好き」みたいな感じでした。
それでなんとなく理系に行って、なんとなく「俺はエンジニアになるんだ」みたいな感じでした。
営業とか企画ではなくて、なにか物創りをするというのを漠然と思っていたんです。
そのままの流れで、工学部に行くじゃないですか、そして、その流れで就職先として製造業を選べたんです。
大きいところで言うと、発電所とか電車を作るとかあるんですけどピンとこなくて小さいものがよくて、自分の視界に入るものがいいなぁと思っていました。
もともと就職先は正直どこでも良かったんですよ。どうにでもなるんじゃないかなと思って。
物創りをするという経験が全くないから、携われる仕事がいいなぁと思っていました。
― で、就職は製造業に入られると。
えふしん)はい、その時から一応エンジニアなんですけど、Webではなくて、いわゆる電気制御の担当でした。
もともとの専門と全く違うことをやるので結構カルチャーショックでしたね。
最初は2年くらい修行の期間があって、現場から、機械を作る会社だったので、
いきなり最初に板金係というのに行かされました。
板金係というのは鉄を曲げたり切ったり溶接するんです(笑)
― どんなきっかけでWebエンジニアになられたんですか?
えふしん)元々の製造業で装置の開発をしているときにWebサーバーをいじる機会があったので、Webサーバーを勝手に作ってみたことがあるんですよ。
新製品の開発の中なのにほぼ趣味みたいな感じで!
そしたら、HTMLが致命的にわからなくて、これはなんなのかな?と思って、勉強していたんですけど、デザインとかまったく良くわからないと・・・
何かをコントロールするとか、機械を動かすとか、モーターを回すとか、制御とかはわかるんですけど、Webは操作するのは画面じゃないですか。
ボタンがあって押すと何かが動いて、このボタンどうあるべきみたいなのをデザインするのがWebデザインですよね。
で、そこに対するセンスがない!全くない!と。
別にデザイナーになりたいわけじゃないんだけど、それ以前のすべてがないなぁと思って、そのHTMLってのを書かないといけないんですけど、それの仕組みとか、どうやって書くのとかどうやって作るのとか、全部わかんないから。あまりにもわからなすぎて、勉強したいなと思ったんですよ。
で、デジハリに行った。シブヤ校の第1期生でした。
これがWebエンジニアへの入り口だったんです。
デジハリの卒業のタイミングで、渋谷校に特別講師が来る機会がありました。
その講師はある制作会社の社長で、質問を少しと、その後ちょっと飲み会みたいなので1時間程度しゃべっただけなんですが、スカウトいただきまして。
そんだけで、すげーなって、なんというかその人のカンというか・・・よく声かけたなと思います。笑
それをきっかけに転職してこの業界に入りました。
― そもそもインターネットを初めて触れられたのはいつごろですか??
えふしん)インターネットというより、時代的に元々、高校生のときから「パソコン通信」をやってて、ネットワークというのにずっと意識は高かったんですよ。
ただ大学ではそういうのがなくて、インターネット的なものは知らなくて、ただひたすらパソコン通信をしていました。
パソコン通信とインターネットは全然違うんですけど・・・
元々アメリカが戦争をするときに一つの通信網が壊れても別の経路の通信をするというのが始まりで、昔、ARPANET(アーパネット:世界で初めて運用されたパケット通信ネットワークであり、今日の世界的なインターネットの起源である。)とかあって、それを開放したのがきっかけなんですよ。
ちょうど、当時のアメリカとソ連の冷戦中でゴア副大統領の時の話です。
アメリカは国としてインターネットを作ったんです。
その一本の経路が切れてもこっちの経路から伝達するといういわゆる「Web」と
いうのができたわけです。
技術的にはTCP/IPというのがあって、そういうのを大学の頃から勉強していたんです。
大学のアカデミックな領域で結構研究されていて、それがビジネスとして成り立ってきたのが1995年頃ですね。ものすごくその辺の意識が高い人たちは1993~1995年辺りに起業しているわけです。その一人が堀江さんですよ。
東大でインターネットってすげえなって作ったんでしょうね。
― ところで今、どんな環境でお仕事をされていますか?
えふしん)BASEは開放感あふれるクリエイティブなオフィスです。
使う物は結構自由で、「1日8時間いかに集中してもらうか」なので、エンジニアに関しては好きな椅子を買って良かったりするので、体が資本ですから。良い椅子を使ってる人もいますよ。パソコンも使いやすいものを使っていいとか。
会社は自由に働ける空間を重視しています。
僕は管理もしているのでいい椅子ではないんですけどね。
物を作ってる人だけは環境が大切ですね。
えふしん)自分の家には想創社としてのオフィススペースがあり、作業の快適性、利便性を重視した汚い作業場です。
― パソコンはMacの方が多いですか?
えふしん)そうですね。うちのエンジニアはみんなMacですね。
合理的に便利で完成度も高いですね。
Macはコマンドラインが使いやすいんですよ。
― なぜ、ジーズアカデミーのメンターをしようと思いましたか?
えふしん)仕事などを通じて仲良くなれる、自分より若い人の数を増やしたいと思ったからです。
教えるのは嫌いじゃないだけで、何か教えたい意欲がそんなにあるわけじゃなく、使命感があるというわけでもないんですけど、この世界は新しい技術にどんどん変わっていって、古い情報は無効化されて価値がなくなっていく方向にいくんですよ。
そうすると常に新しい技術をキャッチアップしていかないといけないんですけど、若い人がフレッシュな気持ちで出会う技術と、くたびれた人がやんなきゃなぁと思ってやるものとは吸収の力が違うと思うんですよね。
若い人をリスペクトしているので、
ネットの世界に知り合いができていくことや世代が固まってないということは
すごく大事なことだと思っています。自分にとって。
だからからジーズアカデミーのメンターをやろうと思いました。
― エンジニアと言えば猫というイメージですが、えふしんさんも猫派ですか?
えふしん)犬派です!犬は家族です。あいつらは写真は嫌いなんですけど、こちら!
― マイブームや息抜きはどうやってされますか?
えふしん)ブログやTwitterに書いたり、Huluで映画を見るんですが、アメリカのドラマが好きですね。
24とかプリズンブレイクみたいなのではなくて、そこそこの長さで考えさせられるようなドラマが好きです。
長いのは最初だけ観て、長すぎると思ったら、最後をネットで探して、観るかんじですね!笑
あとはねぇ、悩むとスポーツクラブに行ったり、温泉に行ったりもします。
車に乗ったりすることもあります。
今はカーシェアリングで家のすぐ近くにプリウスがあります。
息抜きをしながら、新しいことを考えるといいアイディアが浮かんだりしますね。
― ジーズアカデミーに入学する方へメッセージをお願いします!
えふしん)「やりたいと思ってるんですよね」という人はたくさんいるけれど、そういう人は基本信用していないんですよ。
でも、行動を起こしたみなさんはやはりすごいと思います。
ただ仕事しながらのダブルスクールだと現実忙しいじゃないですか。
それがままならなくなっていくという人も見てきているので、そこをなんとかうまくに頑張ってほしいですね。
せっかくなので限られた機会を大事に、脱落せずに頑張ってほしいです。
― えふしんさん、ありがとうございました。